スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
--/--/--(--)
スポンサー広告

「工学部・水柿助教授の解脱」森博嗣 感想

国境の長いトンネルをついに抜けられなかった。


(本文より)



「工学部・水柿助教授の解脱」 森博嗣


引用したのは冒頭の一文だ。
不覚にもこれでいきなり大爆笑してしまった。
そして、次の節の書き出し

国境の長いトンネルはなかった。



再び、爆笑。
どうも、この「雪国」ネタは僕の笑いのツボをがっちり捕まえてしまったらしい。
残念ながら雪国ネタはこの二発だけだったが。

さてこの「工学部・水柿助教授の解脱」であるがMシリーズの第三作、ラストである。
Mシリーズとは森博嗣が「これは小説だ!」と言い張りながら自分の私生活を描いたエッセイ(あえてジャンル分けをするならエッセイが近い気がする)だ。
冒頭がいきなりパロディで始まることからも分かるように絶対にまじめに書いていない。
もう中身はほとんどくだらないジョークで埋め尽くされているといっていい。
(それが面白いからついつい読んでしまう訳だが)
そもそもこの本、かなりヘヴィな森博嗣ファン向けに書かれている。
森博嗣の作品は読んだことないなぁ、という人にはぜひ他の「すべてがFになる」とか有名所から読まれることを勧める。
この本が面白いと思えるようになったら、もう重度の森博嗣ファンだと判断して間違いない。
取り返しはつかないし、取り返したところでどうしようもない。

どうでもいい事だが僕はずっとこの本のタイトルを「工学部・水柿助教授の解説」だと思っていた。
“ごんべん”と“つきへん”を見間違えていたのである。
解説ってなんの解説だろう?建築学について講義でもするのか、と思っていたらなんのことはない、ただの見間違いだった。
しかし、僕以外にも勘違いした人は絶対いると思うのだが、どうだろう?
(というか作中でもこのタイトルの紛らわしさについては触れられていた)

本作は主に、小説家としてデビューして、たちまち売れっ子になって、印税ががっぽがっぽ入ってきて、お金の使い道に困った挙句、結局は自分には一生かけても使い切れないと悟った水柿君(森博嗣)について書かれている。
(微妙に文体を真似てみた)
なんだよ金持ちの自慢話かよ!
と、思われるかもしれないが、不思議とあまり不快感というかいやらしさ僕はを感じない。
おそらく森博嗣自身が全く自慢話のつもりで書いていないからだと思う。
そういうのは伝わる。
ホントに、ファン向けに自分の私生活を面白おかしく書いているんだろう。

森ファンならもう知っていることだと思うが、森博嗣はすでに発表が決まっている作品をすべて発表した時点で完全に作家活動をやめると宣言している。
さしづめ今は引退へのカウントダウン中といったところか。
本作でも引退について書かれている。
引退に対する作家としての責任について触れられたところから引用すると、

そうはいっても、そのコアラなファン、もといコアなファンになると、ちょっとした責任を水柿君は感じるのだ。さすがの水柿君も微妙にほんの少しは感じるのだ。でも、まあ喩えるならば、ムヒを塗ってすっとすれば忘れるくらいの責任なので、そんな大したことではない。いいのか、こんな事書いて。



・・・・・・。
・・・・・・。
・・・・・・。

ひどい。
そりゃあ引退するかどうかなんて作家の自由だけどさぁ。
発表する作品の数を増やせとかは言わないのでもう少し、発表のペースが速くならないのかなぁ。
Gシリーズとか。

ファンは作品が出るまで待つしかない。
ポチは待てと言われれば待つしかない。
この主従関係はどうやっても覆せないのだ。

くそぅ。
ファンを待たせるとそれだけ期待が膨張してハードルが上がるんだからな。
つまらなかったらこのブログでボロクソに書いてやる。
ぐふふ。
ボロクソに言われたくなければ早くGシリーズの続きを書くのだ。

あ、でも、森博嗣は作品がどう言われようが気にならない、って言ってたっけ。

・・・・。
・・・・・。
・・・・・・。

ちくせう、ファンにできることは何もないのか(T_T)



最後に気に入った部分を引用してみる。

人間はいつでも、自分にとって一番価値のあるものを選ぶ。価値が見えないときは、価値がありそうなもの、あるいは、いずれ価値が出そうなものを選ぶ。無駄なように見えても、けっして無駄は選択されない。その人が信じる最善の道を必ず選んでいるのだ。怠けたほうが良いと思うから怠ける。罪を犯してでも欲しい物が手に入る、そちらのほうが良い、と思うから罪を犯す。人を裏切ってでも、自分の思い通りにしたい、と思うから人を裏切る。人を愛した方が、自分に価値がある、と考えれば人を愛するだろう。全部同じだ。誰もが自分の欲望のままに生きている。ただ、価値を見出す道理が、それぞれで違っているにすぎない。



自分を最優先にしなければ、自分が嫌な思いをするだけでなく、他人に迷惑をかけるし、ときに大切な人を傷つける。
そのことを20数年生きてきて僕は学んだ。
逆説的な内容だが、今のところ僕の人生においてこの命題は真だ。
私は自分の損得なんて考えずに他人のために行動できる、なんて人がいたら、その人はお釈迦様か、自分の本心に気づかないふりをしているか、いずれかだろう。

僕がニートをやっているのももちろん自分で望んだからそうなった。
現に大学で実験してた頃より今のほうがずっと幸せだ。
(ただ、このままの生活を続けていると将来的に幸せでなくなる確率が高いので何か策を考える必要がある)

この一節を読んで人生の教訓を思い出した次第である。

さっき、「最後に」と書いたがもう一箇所引用しようと思ったところが残っていた。
Mシリーズのラストを飾る名文(笑)だ。

諸君、読みたまえ。
これが小説だ。




↓記事が面白かった方はクリックしてあげて下さい


 

スポンサーサイト

森博嗣 「工学部・水柿助教授の逡巡」 感想

否、本当はもっとたくさん面白いことを思いついたけれど、全部書いていると、ごちゃごちゃになる、ぐしゃぐしゃになる、訳がわからなくなってしまい、とんでもなく長くなりすぎて、きっと誰にも読んでもらえない、結果として作者の人格が疑われるだけだ、ついてくる読者はちょっと変な人ばかり、といった状況に至る不安がつきまとうのである。


(本文より)




森博嗣「工学部・水柿書教授の逡巡」


ゴメンナサイ、ついてきちゃった変な読者です。

このMシリーズ、完全に森博嗣の実験場というか遊び場というか、絶対に真面目に書いてないだろ!と突っ込みたくなってしまうけど笑えるのでついつい読んでしまう。

冒頭の引用文にあるようにこの「小説(笑)」がオモシロイと思ってしまうのは変な読者しかいない気がする。
あるいはコアな森博嗣ファンか。
むしろ「コアな森博嗣ファン」=「変な読者」という等式が成立してしまう可能性もなきにしもあらず・・・。

このMシリーズは、森博嗣がファンサービスなのかどうか不明だが自分自身のことを「水柿君」に仮託し、明らかに自分自身のことを書いているにもかかわらず、「これは小説だ」と主張しながら崩壊寸前の文体で綴っている作品である。
Mシリーズ一作目の「工学部・水柿助教授の日常」の方はまだ小説っぽかった(それも前半だけで後半は暴走気味)が、本作はもう最初っからぶっ飛んでいる。

読み始めてもいつになったら物語が動き出すかわからないし、動くのか?と見せかけて脇道にそれてみたり、さらにそこから話が脱線したりで、完全に小説ではない。
というか完全に森博嗣の視点で話が書かれているのだからそもそも小説とは呼べない。
本文に「読んできた人はもっと虚しい」とか書くんじゃない(笑)


この本を森博嗣を読んだことがない人が偶然本屋で手にとって、何かの気まぐれで読んでしまったら、きっとその人は絶対に森博嗣の作品を読まないだろう。
かけてもいい。
コアな森ファン向けに書かれた本だと思って買わないと、金買えせ!と言いたくなると思う。
森ファンにとっては結構笑えると思うんだけど。

Mシリーズ第二作「工学部・水柿助教授の逡巡」は、約99%がおふざけで書かれているがちょっっっっっとだけ真面目な部分もある。
以下、そんな微小成分を抜粋。

ものの価値を測る物差しは、とてもたくさんあって、その物差しの数が少ない人が、貧しい、物差しを沢山持っている、豊か、ということになるだろう。



貧富を測る基準はお金ではない、様々な価値観を許容できる人が「豊か」である、という意味に僕はとった。
自分の価値観だけが絶対だと信じていて、他人の価値観を否定したがる人が世の中には相当数いる。
少なくとも僕の経験上は。
これからはそういった人に攻撃されたときは、この人は貧しい人なんだな、と思うようにしよう。

この一文に出会えただけでこの本を読んだ価値があった、とは言いすぎかもしれないけど、ふざけてるだけじゃない、時々真面目な内容も織り交ぜてくるのは読者を飽きさせない技だな、と思った。

まぁ、ほとんどがバカみたいな内容だからこの一文を探しだすのが大変なんだけど(笑)

 

| ホーム |
Page Top↑
▲ Page Top
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。